展示レポート
枝史織 個展「泉門」
2018年3月に開催された、枝史織 氏の個展「泉門」のレポートです。
枝氏は1983年東京生まれ。2010年に東京藝術大学大学院を修了し、国内海外の様々なアートフェアやグループ展に参加しています。2016年から活動拠点をパリに移し、今後は香港、パリ、京都など各国での個展が予定されています。
本展は2年ぶりの日本での個展となり、無機質な巨大建造物をモチーフとした絵画「ビィルディングシリーズ」や、彫刻作品などが展示されます。
展示のようす
▲展示タイトルでもある「泉門(センモン)」とは、新生児の頭蓋骨にある穴、またはあの世への門を意味しています。
成長とともに形を変え、閉じていく穴。深海を思わせる美しく仄暗い青は、未知の世界へ続く扉のようであり、生命の誕生もしくは終焉を示しているようでもあります。
泉の中には6人の女性が泳いでいるそうです。波の音さえ聞こえない静謐とした空間を、なにかに導かれるように一心に泳ぐ姿。その背中からは、人間の無意識下に眠る本能のような物を感じます。
▲天地を分かつ水平線。どんよりとした空、薄暗く澱んだ広大な海の中心に、まるで錯視画のように異様な存在感で屹立するビィルディング。よく見ると、右下の方に窓から釣り糸を垂らす人物の姿が。
本来、外の世界を占めるはずの青のグラデーションがビル内に描かれることで、現実と虚構がないまぜになり、繁栄と荒廃を一度に突きつけられるような世界観に心を揺さぶられます。
▲暗闇にのまれ、境界が曖昧になる空と海。不気味な光を放つ月を背景に佇むビィルディングの中には、水が満ち満ちています。上に向かって、下に向かって泳ぐ女性。
美しい景色を求め、窓を次から次へと移動しているのでしょうか。それともビィルディングの出口を求めて、昼も夜も彷徨い続けているのでしょうか。
▲屋根の中央で、傘を手に踊るように歩く女性。長い雨がやみ、雲に覆われていた空からうっすらと光が差す。その刹那、何かの兆しのように虹が姿を表し、思わず立ち上がる。自然の力に魅了され、希望を抱く気持ちがひしひしと伝わってくるようです。
▲多くの作品に、裸の女性が小さな姿で描かれています。親指ほどのサイズにも関わらず、繊細な陰影表現は視線を釘付けにし、今にも動き出しそうなほどの存在感をもたらしています。
▲いつもより暗めにライトアップされた美術画廊X。作品のスリリングで壮大な世界観と相まって、息をするのさえ忘れてしまいそうな引き込まれる空間演出です。
▲激しい水音が頭に反響し、飛沫に体中を濡らされるような精細な描写。意思を宿したかのように、巨大な口を開ける海。地球の裏側まで引きずり込むような強大な引力を感じます。
▲目を引く赤。コンクリートのリアルな質感が、空まで覆い尽くすような圧迫感をもたらします。大きさは 20cm x 20cm で、同サイズの小品シリーズも多数展示されていました。
▲グラス中に地層を表現した彫刻作品。途方もない年月をかけ層が積み重なっていくなか、歴史が意思を宿すのか、それとも意思が歴史を形として残すのか。
海流のうねり、吹きすさぶ風の音、大気を揺るがす地鳴り。洗練された硬質な描写は、重厚な歴史の一端、世界の始まりと終わりを同時に描くようで、ただただ圧倒されます。
作品と向き合うだけで五感を鷲掴みにされるような壮大な世界観は、鑑賞という行為を越えた恍惚の境地へと運んでくれるようです。
枝氏は自らの作品を「好奇心からくる様々な疑問の考察や仮説、研究の記録であり結晶」と述べています。沈黙に包まれる海の中、光を放つ建造物は嵐の前兆か、夜明けの兆しか。一糸まとわぬ女性たちが胸に秘めるのは絶望か、希望か。
作品を通して生まれた数々の疑問は、日常から離れて世界を俯瞰しようとする際にふと蘇ります。すべての生き物が死に絶えたかのような静けさと、大地を揺さぶるような力強さ。これらが同居する灰色の景色を、二度と忘れることはできない印象深い展示でした。
展示情報
展示名:泉門
作家:枝史織(エダシオリ)|Facebook
期間:2018年3月14日(水)~4月2日(月)
展示場所:美術画廊X|Web
所在地:東京都中央区日本橋2丁目4番1号